飢えの怖さを知らない私たち

●前回、領有権問題について書きましたが、物が豊富で便利な生活が当たり前の時代に育った世代の私たちにとって、国家意識以外にさしせまった感情を持たないのが一般的ではないでしょうか。そう思うのは私だけかな。

自分の意識を探るに、それは、やはり飢えの怖さを知らないからだと思います。食糧や燃料資源に困ったことがない。あ、オイルショックというのがありましたが、まだ子供でしたし、実際にそれほど生活は変わりませんでした。

しかし、中国は明確に資源確保のための主張とみられますし、軍事的な地理関係もあると思いますから、その生きるための必死さは日本人の想像以上のものがあるのかと思います。

 

●最近読んだ本で江戸時代の天明飢饉の様子を知り、飢えの恐ろしさを改めて思い知りました。昭和初期の大凶作もありましたし、戦地では戦闘より病気や飢えによる死者が多かったとも聞きます。いまでも、たとえばサハラ以南のアフリカでは国民の4分の1が飢えに苦しんでいます。

でも、自分が今満たされていれば、嫌いなものは平気で残してグルメを求め、笑って暮らせるのが私たちの姿なのです。世界的な飢饉の可能性はゆっくりとではあるが、確実に迫っているにも関わらず……。

 

●飢えは戦争よりもっと恐ろしいものかもしれません。だからこそ資源を確保するために命をかけて戦うのだとも言えます。その点をもっと真剣に考える必要があると思います。飢饉になってからでは遅い。

実際、いまアメリカが大干ばつに見舞われています。大豆はもともと作付け面積を減らしていたので需給逼迫は確定、トウモロコシはそれより幾分よいが、世界の輸出の5割を占めていただけに代替地がなく、高騰が長く続く予測とのこと。貧しいものが飢えていく。

 

●一方、地球温暖化はいっこうに止められず、氷河は溶けていくばかり。自然環境の変化は必ず農業に影響するはずです。作物が育たなければ私たちは飢えるしかない。地球規模の環境変化が進むなか、輸入すればよいなんて甘い考えではないでしょうか。

 

●しかも、日本は原発事故で放射性物質で大地を汚してしまいました。地元の農家にはかりしれない苦悩を与えました。消費者としては放射能に汚染された作物を口にできないのはもちろんですが、原発事故が農業に及ぼす影響はいかほどか? 

たとえば、福島の飯館町は、事故を起こした原発との距離が、柏崎刈羽原発から上越までの距離とほぼ同じだそうです。そこで酪農を営んでいる長谷川健一さん招いて、「つなげよう脱原発の輪・上越の会」が8月26日に話を聞く会をもつそうです(午後7時より市民プラザ)。事故当時に何が起きたか、1年以上たったいまどうなっているか。放射能の影響をモロに受ける農家の方たちにぜひ来てほしいとのこと。農家でない私にしても、身近な人からいただく野菜がどれだけ食卓を賑わしてくれるか…それ一つをとっても、上越に放射能を撒き散らすわけにいきません。