マララさんの日記が持った発信力

マララさん銃撃事件に抗議するパキスタンの人々
マララさん銃撃事件抗議集会

●タリバンの迫害を世界に訴えた14歳の少女、マララ・ユサフザイさんが銃撃された事件が、パキスタンの人々の心を揺り動かしている。

全国約50人のイスラム聖職者が教徒に抗議を呼びかけ、主要都市の多くで弁護士らによるストライキが行われた。各都市の該当ではマララさんの回復を祈る自然発生的な集会が連日開かれているという。

 

パキスタンで一番古い英字紙で大手のドーン紙は12日付社説で、「ついにパキスタンは、国内に根を張った宗教的過激主義がもたらす結果について目を覚ましたように見える」とまで書いた。

 

 

マララさんの住むスワトをタリバンが支配したのは、マララさんが11歳のときだった。ムチ打ちの刑が導入され、女子の通学禁止が命令された。マララさんはBBC放送のブログに偽名で日記を公開し、タリバン支配下の日常を世界に知らしめた。

▼(日記)2009年1月3日 「私は怖い」。
「学校に行くのが怖い。タリバンが女は学校に行くことを禁止すると命令したからだ。クラスの27人のうち登校したのは11人だけだった」。
▼(日記)1月14日 「もう学校に行けないかもしれない」。

「嫌な気持だった。校長先生はあすから冬休みと言ったけど、学校がいつ再開されるのかは言わなかった。タリバンが登校禁止の命令を実行すれば、二度と学校に来れないことは皆知っていた」。
▼(日記)1月15日 「銃撃戦の夜」。
「銃撃戦の音がひどくて、夜中に3回も目を覚ました。きょうはタリバンの命令が実行される日の前日だ。友達が来てまるで何事もないかのように宿題の話をしていた」。

タリバンは女子高を爆破し、女性が市場に買い物に行くことも禁止した。マララさんは地味な私服を着て、教科書を服の下に隠して通学したという。

 

その後、政府の掃討作戦によってタリバンが追い出され、マララさんはメディアに出て女性が教育を受ける権利を積極的に発言。タリバンの脅迫を受けても批判をやめなかった。「反イスラム的な思想を広める」マララさんを黙らせるため、タリバンは犯行に及んだ。

(参考にしたサイト NHKピックアップ@アジア )

 

しかし、マララさんの同級生たちはひるまない。テレビの取材にこう語った。

 私たちスワトの少女はみんな、マララです。私たちは勉強をやめない。彼ら(タリバン)は勝てない。

 

●マララさんが最初に世界に訴えた方法は、ブログ発信だった。内容は上記のように少女の日常を描写したものだったようだ。NHKのキャスターが「まるでアンネの日記のようだ」と言っていた通り、たんたんとつづられる端的な描写から、タリバン占領下の息苦しさや喪失感が伝わってくる。大きな発信力を持つに至ったのは、そういうブログだった。


彼女が子どもだったからだろうか。もうちょっと小利口になっていたら、かえってこれほどたんたんとつづれなかったかも、とも思う。こんなふうに身の回りの出来事をつづることが、圧制や差別や社会のもろもろの理不尽さを告発する武器になるんだ。それは誰にでもできる。主義主張を出せば共鳴する人は限られるが、日常のルポにはそういう垣根がない。日本でもルポルタージュの旗手たちがかつて一時代を築いた。そんなことを思い出した。いまは市民一人ひとりがルポライターになれる時代。とにもかくにも、マララさんの回復をお祈りする。

 

 

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コメント: 1
  • #1

    阿呆な振る舞いしても臍に括りあり (木曜日, 18 10月 2012 19:26)

    夢と希望の為に懸命に生きる。
    これが本当の勇気ある人。
    国策が大事か?
    命と安全が大事か?
    原発ではっきりしたと思う。
    それなのに、柳の下のドジョウみたいに、声高に危機感(戦争)を煽り、自らは上手に立ち振る舞い一儲けする。
    靖国参拝の姿はまるでゾンビです。 国民はもうそんなパフォーマンスに騙されないということを判っていないのでしょうか?
    世界が呆れる国になりはしないか?心配です。